薬用人参・高麗人参
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高麗人蔘、あんな話、こんな話人蔘Q&A

高麗人蔘、あんな話、こんな話

高麗人参:4年で青春、6年で壮年
高麗人参:4年で青春、6年で壮年高麗人蔘は専用の畑で栽培されますが野菜のように数ヶ月で簡単に育つものではないのです。高麗人蔘が目的にかなった薬効成分を持つようになるには、じつに6年もかかります。1、2年ではまだ、およそ人蔘には見えません。4年目には花が咲き、真っ赤な実をたくさんつけます。人間で言えば青春まっただなかといったところでしょうか。この頃にやっと根が太くなってきます。しかし、高麗人蔘の有効成分である十数種類のサポニンは6年目にようやく、量も豊富でバランスも均一に含有されるものですから、やはりパワフルな壮年期を迎えたものが理想ですね。一つの畑で6年間、土壌中にあるミネラルや酵素を十分に吸い上げて育った人蔘、その栽培後の畑は、向こう20年間は使用できないほどです。
 
高麗人参:高麗から日本へ
高麗人参:高麗から日本へ高麗人蔘の起源は、古く紀元前に逆上ります。中国の前漢の時代に書かれた「急就草」という本の中に、”蔘”の名が出ているといいますから、少なくとも2千年の歴史があるということです。高麗という名の通り、高麗人蔘は古代高句麗王国の北高麗、現在の中国東北部で主に産出されていました。日本に高麗人蔘が伝わったのは西暦739年、高句麗王国の使者が、時の聖武天皇に約18kgの高麗人蔘を献上したことに始まります。この人蔘は今日まで「正倉院御物」として保存されています。
 
高麗人参:吉宗が育て広めた高麗人参
高麗人参:吉宗が育て広めた高麗人参高麗人蔘の産地は中国だけではなく、朝鮮半島、そして日本でも栽培され輸出もされています。日本での栽培は徳川家康、家光の時代に栽培を試みたという記録がありますが本格的なものでは吉宗の時代、幕府が朝鮮半島から種子を輸入し、会津(福島)、出雲(島根)など国内の各藩にこの種子を渡して人蔘を生産させたのが始まりとされています。”オタネニンジン”という高麗人蔘の異名は、ここからと言われます。
 
高麗人参:いろんな名前がつきました
高麗人参:いろんな名前がつきました高麗人蔘の正式な学名は「Panax ginseng C.A.Meyer」と言います。パナックスは”全ての医薬”という意味で、高麗人蔘が万病に効果があることを示しています。ジンセンはニンジンの中国語発音、C.A.Meyerはこれを命名したロシア人の名前です。この正式な名前の他に高麗人蔘には数百もの別名があるそうです。朝鮮人蔘、吉林人蔘、雲州人蔘、会津人蔘といった産地名からくるもの。生干しした状態を言う白参、蒸してから乾燥させた紅参、お湯でゆがいた湯通参といった製法からくるもなどがあります。今や世界で約4,000トンも消費されているという高麗人蔘。世界の国々でどんな呼び名がついているか、興味深いですね。

このページに記載されている内容は全日本人蔘業者連盟発行の「あなたのための高麗人蔘読本」
からの出典です。

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